修證義(シュショウギ)
第四章(発願利生-後半)
其(ソノ)布施というは貪らざるなり、我物に非ざれども布施を障(サ)えざる道理あり、其物の軽(カロ)きを嫌わず、其功の実(ジツ)なるべきなり、然あれば則ち一句一偈の法をも布施すべし、此生侘生(シショウタショウ)の善種となる、一銭一草の財(タカラ)をも布施すべし、
此世侘世(シセタセ)の善根を兆す、法も財(タカラ)なるべし、財(タカラ)も法なるべし、但彼が報謝(ホウシャ)を貪らず、自らが力を頒(ワカ)つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度(ダンド)なり、治生(チショウ)産業固より布施に非ざること無し。
愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発(オコ)し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生(ジネンシュジョウ)猶如(ユウニョ)赤子(シャクシ)の懐(オモ)いを貯えて言語するは愛語なり、
徳あるは讃(ホ)むべし、徳なきは憐れむべし、怨敵を降伏(ゴウブク)し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面(ムカ)いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面(ムカ)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
利行というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧(ゼンギョウ)を廻(メグ)らすなり、窮亀(キュウキ)を見病雀(ビョウジャク)を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単(ヒト)えに利行に催おさるるなり、愚人(グニン)謂(オモ)わくは利侘を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾(シカ)には非(アラ)ざるなり、利行は一法なり、普(アマネ)く自侘を利するなり。
同事というは不違(フイ)なり、自にも不違なり、侘(タ)にも不違なり、譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、侘をして自に同ぜしめて後に自をして侘に同ぜしむる道理あるべし、自侘は時に随(シタゴ)うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故(コノユエ)に能く水聚(アツマ)りて海となるなり。
大凡(オオヨソ)菩提心の行願(ギョウガン)には是(カク)の如くの道理静かに思惟すべし、卒爾にすること勿れ、済度(サイド)摂受(ショウジュ)に一切衆生皆化(ケ)を被(コウ)ぶらん、功徳を礼拝(ライハイ)恭敬(クギョウ)すべし。
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