修證義(シュショウギ)
第1章(総序-前半)
生を明らめ死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり、
生死(ショウジ)の中に仏あれば生死なし、 但(タダ)生死すなわち涅槃と心得て、 生死として厭(イト)うべきもなく、 涅槃として欣(ネゴ)うべきもなし、
是(コノ)時初めて生死を離るる分(ブン)あり 唯一大事因縁と究尽(グウジン)すべし。 人身(ニンシン)得(ウ)ること難(カタ)し 仏法値(オ)うこと希なり、
今我等宿善(シュゼン)の助くるに依りて、 已(スデ)に受け難き人身を受けたるのみに非(アラ)ず、 遭い難き仏法に値(ア)い奉(タテマツ)れり、
生死の中の善生(ゼンショウ)、最勝(サイショウ)の生なるべし 最勝の善身を徒(イタヅラ)にして 露命(ロメイ)を無常(ムジョウ)の風に 任(マカ)すること勿(ナカ)れ。
無常憑(タノ)み難し、 知らず露命(ロメイ)いかなる 道の草にか落ちん、身已(スデ)に私(ワタクシ)に非ず、 命は光陰に移されて暫くも停(トド)め難し、
紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(ショウセキ)なし。
熟(ツラツラ)観ずる所に往事の再び逢(オ)うべからざる多し、 無常忽(タチマ)ちにいたるときは国王大臣親昵(シンジツ)従僕(ジュウボク) 妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉(コウセン)に趣(オモムク)くのみなり 己(オノレ)に随(シタガ)い行くは只是れ善悪業等(ゴットウ)のみなり。
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