No.41

かたみとて何か残さむ春は花
山ほととぎす秋のもみじ葉
良寛

 今年も夏の暑い季節がやってきます。七、八月のこの時期は、お盆とともに、近隣のお寺では大施食会(おせがき)法要が営まれ、多くの方々がそれぞれのご先祖さま、また有縁無縁のご供養に参詣されます。亡き先祖に思いをはせるこの風景は、うだるような夏の暑さの中に、心の中を涼風が吹き抜けるような爽やかさを感じさせてくれます。このように、四季ごとに雛祭り、鯉幟、七夕、秋祭りといった行事やお祭り、宗教行事、さまざまな習慣が私たちの周りを囲み、心の安らぎと豊かさをもたらしてきました。

 しかし、文明の発展や社会情勢のめまぐるしい変化の中にあって、現代に生きる私たちは本来あるべき自然の姿を心に留め、その移ろいを楽しむ余裕を失っているように思えます。その結果、私たちは伝統的な宗教行事のみならず、人間として大切な慈しみの心や、大切な倫理観さえも忘れ去られてしまったのではないでしょうか。

 冒頭の句は、良寛さんの辞世の句として知られているものです。そこからは、「形見として何ら残すべきものはなく、ただ四季のそれぞれの移ろいと風情が在るだけです」 すなわち、自然にまかせ、自然とともに生きていくことが仏法そのものであるという良寛さんの教えが読みとれます。

 今年の春は思いがけない速さでやってきましたが、それでも草花は逆らうことなく、見事に芽吹き、花を咲かせています。そのような素直なこころが、私たちに最も必要なことであるのだと思います。 四季の変化に心を留め、鳥のさえずり、綻ぶ花々、風の揺らめきに触れてみましょう。一つひとつの自然の姿を、人間本来のあるべき姿、大切な事をゆっくりと見つめ直した時、きっと新しい世界が見えてくるはずです。


解説
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