散歩の愉しみ

風の道・・・つれづれに・・・



 第9回 散歩の愉しみ

 梶井基次郎の「檸檬」の主人公は、街歩きが好きな人のようである。青春の憂愁を抱えながら、あるいは作家の分身であるならば結 核への不安を抱えながら、京都の町を歩いている。そして、丸善の洋書コーナーの画集の山の上に、空想の「檸檬爆弾」を仕掛けるの だ。

 梶井基次郎自身も、街歩きが好きに違いない。彼の作品の中に「 路上」という小品がある。
 これは、主人公が普段なれ親しんでいる道を外れ、新しい道を見 つけ歩いたときの新鮮な感覚を主調としつつも、自らのうちに抱え 込む憂鬱と激情を私小説風に描いたものだが、私がこの中で共感を 覚えたのが、はじめての道へ足を踏み入れる感覚だ。

 感性がとぎすまされていくさまが描かれている。主人公は、はじ めての道にうつぎという樹を見つける。他の場所で見るうつぎの印 象は、むしろ平凡であるのに、その道のうつぎには風情を見出だし ているのだ。

 散歩にはふた通りの仕方がある。ひとつは、順路を決め毎日その 道を散歩する仕方。もうひとつは、まるっきり知らない道にえいや っと足を向ける仕方。

 もとよりそのふたつに優劣などあるはずがない。また、どちらか 一方というのではなく、順路決定型を主に、冒険型を組み合わせて いくというのが、大方のやり方だろう。

 順路を決めて歩く醍醐味は、その道の家々のたたずまいや庭の木 々や花の変化を楽しみ、季節ごとの空気の移ろいを感じることにあ る。今日はあの家の梅が咲いた。今日はあの家の銀杏が色づいた。 そんな繊細な変化に心を動かすことなのだ。

 対して、はじめての道を歩く面白さは、何の先入観もなく風景を 風景として感じることができるという恍惚と、道に迷ったまま元に 戻れないのではないかという不安が混じりあうところにある。この 恍惚と不安は、私たちの感性をしゃんとさせてくれるのだ。

 誰しも、自分が普段歩く領域というものを持っているだろう。こ の春まで私は世田谷の駒沢に住んでいたので、よく渋谷にでかけた が、私の渋谷の行動領域は、道玄坂側が東急百貨店本店までであっ た。東急文化村があり、よく映画を観にきていたからだ。なぜかそ の先には行かなかったのだが、ある晴れた冬の日にふとはじめての 道に足を向けてみた。町名でいうと松濤町界隈の気に入った道を次 々と曲がって歩いた。美術館があった。松濤美術館という公立の美 術館で、ちょうど「木喰仏」の企画展でふらっと寄って見て回った。

 またすこし歩く。すると再び美術館があらわれた。そこでは「鍋 島焼」という陶器の展覧会がやっていた。ここもふらっと入った。 いつもだったら入ることのない類の美術館だが、三彩や五彩という 色陶器があって、とてもきれいだった。

 美術館を出て、またしばらく歩く。すると門前に警官が立ってい る家が見えた。VIPの家だろうという見当はついたが、誰の家か わからなかった。家の前を通り過ぎながら門柱の名を見る。「青島 幸男」とあった。東京都知事の自宅など計画的に見にいくというこ とはまずないだろうから、これはひとつの発見である。なんともう れしい散歩となった。

 上野も不忍池側は結構歩いているが、鶯谷側には行ったことがな かった。
 ある夕刻、ふと歩いてみる。ずっとまっすぐ行ってしまっては、 右手に始終JRの線路が見えてばかりなので、ちょっとしたところ で左に折れる。昭和のはじめ頃の木造の家の窓から灯りが洩れてい て、タ闇にほっと浮かんでいる。街路樹の銀杏も、初冬の風に落葉 して少なくなった葉を震わせている。

 寺が見えた。山号額を見ると、「寛永寺」とあった。そうか、こ こが寛永寺か、とひとりごちた。徳川将軍家の菩提所で、幕末戊辰 戦争で上野彰義隊が立てこもったという知識はあったものの、実際 目にするのは初めてだった。門は閉まっていて中には入れなかった が、門扉越しに伽藍を垣間見た。

 しばらく歩く。明かりに照らされた瀟洒な明治風の白い建物が見 えてきた。宵閣の中、目をこらして門柱を見ると、「奏楽堂」と書 いてある。東京芸大の施設だ。岩城宏之という指揮者の著書に「森 のうた」というものがある。これは、彼が芸大時代のことを記した 自伝だが、岩城氏とその仲間たちが、自分たちで企画し大成功をお さめた演奏会の会場として「奏楽堂」の名が出ていたのだ。しばら く私は奏楽堂を見上げていた。今にも、若き日の岩城宏之や作曲家 の林光が飛び出してきそうである。演奏会の成功に興奮した顔で。

 それからようやく、上野駅に戻った。知っている風景だけれど、 いつもと違った風景に見えたのを覚えている。

 ヴァルター・ベンヤミンという、第2次大戦中ナチスに追われ逃 亡中、ビレネー山中で自ら命を断った批評家がいる。彼はある著書 にこう書いている。

「ある都会で道がわからないということはたいしたことではない。 だが、ちょうど森の中をさまよい歩くときのように、都会をさまよ い歩くということには、習練が必要なのだ」

 どんな習練なのだろうか。
 「看板や街の名が、通行人やキオスクや酒場が、足の下でボキッ と折れる森の小枝のように、遠くの方から響いてくるサンカノゴイ のぎくりとさせる鳴き声のように、いきなりひらけた林の中の空き 地の真ん中に一輪の百合の花が咲いていて、あたりがふいに静まり かえったときのように、さまよってきた彼に語りかけねばならない」

 その習練というのは、感受性の習練のことなのだ。街のたたすま いのひとつひとつから声にならない声をききとり、風景の中に物語 を読む。そんな感受性の習練が必要であり、かつ試されるのが、お そらく散歩という営為なのだ。

 そしてきっと、その習練を究めた時には、例え老いてあるいは病 に臥して散歩ができなくなったとしても、正岡子規が脊椎カリエス の激痛の中の病牀六尺から、幾多の美しい短歌や俳句を詠んだよう に、自らの周りのものの声を聴き、物語を読むというすんだ眼差し を獲得できるのではないだろうか。


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