篤信家

風の道・・・つれづれに・・・



 第32回 篤信家

 毎日十時近くなると、寺の門前に決まって黒い車が現れる。ドアが開き、花と線香を手にした女性が姿を見せる。

 その女性Nさんは、五年前にご夫君を亡くされ、以来余程のことがない限り、毎日の墓参を欠かさないのである。雨の多い梅雨時も、風の強い冬の日も、Nさんのご夫君のお墓には、花と香煙の絶えることがない。

 「ずっと穏やかな夫婦仲ってわけではなかったんですよ」とNさんは静かに話してくれたことがある。「でもおかしなもので去られてみると、ここへ来ないと落ち着かなくて」と、花に水をあげながらNさんは言った。

 「篤信」というと、まず本を読んだりして仏教の知識をたくさん吸収しなきゃダメなのかなと考える。もちろん、それも重要なことだ。考えなければ見えないものがある。しかし、本で覚えた一つの仏教用語は、Nさんの五年間には到底及ばないだろう。

 仏教の言葉をそれほど知らなくても、Nさんの思いは毎日の墓参の中で昇華され、言葉の指し示すものへ近付いているのだと思う。

 ともすると、頭でっかちになってしまう私の道標になってくれる、身近な「篤信家」である。


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