われも耕す

風の道・・・つれづれに・・・



第21回 われも耕す

 釈尊在世当時の原始仏教教団は、日々の糧を乞食(こつじき…托鉢)で得ていた。つまり、教団自体では何らの生産行為もしていなかったのである。衣をつけ、鉢(食事用の食器)を持ち、村々を歩き食を頂戴していた。

 釈尊が、マガダ(摩掲陀)国~古代北インドの国~の南辺のエカサーラーという村におられた時のことである。

 その村には、バーラドヴァージャ(婆羅堕婆闍)というバラモンがいた。彼は耕田と呼ばれていた。その名のごとく田畑を耕すバラモンで、経典中に「五百の鋤を用意し…」とあるから、かなり手広く農業を営んでいたことがわかる。

 ある朝、釈尊は、衣をつけ鉢を手にとり、托鉢に出かけた。そして、かのバーラドヴァージャの仕事場に赴かれた。

 その時、バーラドヴァージャは人々に食物の分配をしていた。釈尊はその傍らに立った。それを見てバラモンは、釈尊に向かって言った。

 「沙門(=出家修行者の通称)よ、わたしたちは自分で田を耕し、種をまき、そうやって食物を得ているのだ。そなたも、自分で田を耕し、種をまき、食物を得ればいいのだ」

釈尊は、その問いにこう答えた。
 「バラモンよ、われもまた、耕し、種をまく。耕し、種をまいて、しかる後に食するのだ」

 バーラドヴァージャは首をかしげた。釈尊は鋤も持たず、牛も引かない。なのに、耕し種まくという釈尊の言葉の意味をはかりかねたのである。

 「沙門よ、-われもまた耕し、種まく-というが、わたしたちはいまだかつ て、そなたの耕す姿を見たことがない。そなたの鋤はどこにあるのか。そなたの牛はどこにあるのか」

 そう問われたとき、釈尊は次のように答えた。
 「バラモンよ、信仰はわが播く種である。智意はわたしの耕す鋤である。身において、口において、また意において悪業をなさぬのは、わたしの田における除草である。精進はわが牛であって、行って退くことなく、行って悲しむことがない。かくのごとくわたしは耕し、かくのごとくわたしは種をまいて、甘露の果(み)を収穫するのである」

 このエピソードは、額に汗し働くことを否定しているものではない。わたしたちは糧を得なければ生きていけないのである。

 「心」というものは見えないものである。見えないものだから、日々の生活の営みの中で、つい見失いがちである。「生きるとは何か」「死ぬとはどういうことなのか」という問題を、わたしたちはやりすごしてしまっている。

 しかるに、釈尊は、心の領域での仕事の重要性をわたしたちに伝えるのである。「心の仕事」は額に汗し働くのと同じくらい大切なことなのだ。いやそれより重要となる時が、きっとあるのだ。

 わたしたちはこうつぶやくようにならなければいけないだろう。

 「われも、心の田畑を耕す者なり」と。


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