上永谷周辺の石碑・石仏

上永谷周辺の石碑・石仏
Monuments and god images around Teishoin


貞昌院境内

標柱
正面:天神山 貞昌院 天照寺
馬頭観音像
右面:嘉永四亥七月吉日・左面:施主名
山門の左側に刻像と文字塔のふたつがまつられています。刻像の馬頭観音はこの近辺では珍しいものです。
五輪塔
四面梵字空輪欠落。銀杏の根元にあります。台座と五輪本体はべつの物であったといわれています。四面に種子が刻み込まれています。
台座右面:昔安永四乙未年十二月上旬
ほこら
いつの時代のものか分かりません。銀杏の樹の根元にあります。
六地蔵
山門を入って左側にあります。年代の詳細は分かりませんが、六地蔵の他にニ体の小さな地蔵様がまつられています。

永谷天満宮

道標
日本三體
八宮總司 天神山天満宮江之道
元々は平戸本村入り口にあったものを、開発の際に移設したものです。 鳥居の付近にあります。天明3年建立。
天神社之碑
日本三體永谷鎮座と刻まれています。鳥居の横にあります。
村社 天神社・背面:大正十四年九月二十五日
歌碑
移り香え 神代は振梨て 嘉無呂義の
閑穂梨や堂可し 社の梅
鳥居
右柱:院名貞昌院山稱天神山号天照 勅鎭聖神北闕感帝西都現神巍巍 霊徳蕩蕩威神満天充地自在天神、左柱:天明三癸卯六月吉日
大きな石製の明神鳥居です。
水盤
奉納天神御宝前・享保十一丙午正月日
幟幡基柱
祭の時はここに幡をとりつけます。一見なにかなー?と思う柱です。
力石(浅間神社)
天満宮(目方三十貫匁=113キログラム)・かつて祭の際の力比べに使用されていました。
天満宮之碑
県下名勝史蹟四十五佳選当選記念
永谷管廟碑
明治三十五年三月二十五日建立・石段を登っていった社殿左にあります。
常夜灯
社殿から左の山道を登った途中、大きな樫の樹の下にあります。
管秀塚
山道を登りきったところにあります。菅原秀才は、道真の五男であり、学者でもあります。
その秀才愛用の筆をうめたといわれています。地下鉄工事により少し移設されました。ここから駅を眺望することができます。
ほこら
社殿右の絵馬の前、山道にはいったところにあります。
ほこら
これも同じ所にありますが、詳しいことは分かりません。
不動明王
やはり社殿の右にまつられています。
不動明王
社殿から右へ下る階段の途中にあります。「御獄山神社講」と刻まれています。
正面に不動明王像、両脇にコンガラ童子とセイタカ童子を伴っています。滝の枯山水があることから瀧沢不動尊であることがわかります。嘉永5年建立。
鳥居
社務所がある境内にあります。後ろは稲荷社・白糸社・青瀧社の社殿です。天明三年建立。
こま犬
神社の石段をのぼると、この像が迎えてくれます。
常夜灯
社殿正面の階段の上り口にあります。御神木の杉の樹(落雷で伐採)はここの付近にありました。

上永谷町内

庚申塔・堅牢地神塔
貞昌院の隣にある青少年の家の入り口にあります。
庚申塔は一面六臂の青面金剛像ですが、風化はかなり激しくなっていますので三猿は見られません。
地神塔は文字塔であって、「天下泰平・五穀成就」を祈願して建てられました。明治4年建立。
馬頭観音像
柳橋交差点を北にはいったところにあります。二基並んだ文字塔であり、右側が天明8年、左側が慶應元年建立です。
庚申塔・堅牢地神塔
永野小学校裏の、「永野小前」三差路にあります。安永5年建立。庚申塔は道標をかねており、右は「相州鎌倉郡永谷上村半在家庚申講中・右ぐめうじ道」、 左は「左此方やとかまくら道とつか道」と刻まれています。正面は一面六臂の青面金剛像です。
道祖神
水田(すいた)の交差点の付近にあります。二体寄り添うように並んでいます。ほこらに入っているものは珍しいとのことです。明和5年建立。
庚申塔
水田にあります。一面六臂の青面金剛像であり、邪鬼もしっかりと残っています。左下の手にショケラという女の人の髪を掴んでいます。寛永4年建立。
馬頭観音像
水田にあります。座像でありますが、いたみが激しく彫りがはっきりしません。
庚申塔
水田にあります。これも三猿が彫られています。上記の庚申塔と持ち物がだいぶ違います。享保元年造立

丸山台

庚申塔
丸山台自治会第二会館にあります。道標の役をかねており、「右とつかミち、左かまくらミち」と彫られています。享保7年造立
堅牢地神塔
やはり道標を兼ねています。「右かまくら道、左横濱道」。明治4年造立
道祖神他
丸山台にあった道祖神・廻国塔・社軍司塔が集められています。

下永谷町内

道祖神
般若寺本堂の左側にあります。双体男女の道祖神で、なかよく肩を組んでいます。女性は妊娠していると言われていますが、 顔は欠損してしまい、セメントで修復されています。明和5年造立
道祖神
同じく般若寺にあります。僧の形をした双立道祖神です。
道祖神
神明社境内にあり、やはりニ体が袖の中で手を組んで仲良く並んでいます。天保7年造立。
この付近には双立の道祖神が多く残されています。
堅牢地神塔
文字を刻んだ地神塔です。文字のものでは、付近で一番旧いものであり、前面に「講中」と刻まれています。天保7年造立。
不動明王
座像の不動明王で、神明社内にあります。月待ち信仰と関係があるといわれており、文政9年建立です。
庚申塔
富士見台団地内にあります。笠のついた一面六臂の青面金剛像であり、左手の下はショケラという半裸女性の髪をつかんでいます。
邪鬼が足元でひじをついているのが分かりますか?
廻国供養塔
上記の庚申塔の隣にあります。「奉納大乗妙典日本回国」と彫られており、大乗妙典(=法華経)を奉納した記念塔だと言われます。安永3年造立
道祖神
百合丘ハイツ脇の道路にあります。手を袖の中で組んで仲良くニ体並んでいます。
庚申塔
上記道祖神のとなりにあり、一面六臂の青面金剛像です。宝歴13年建立。

日野町

庚申塔
清水橋交差点をすこし下ったところにあります。旧金井村の飢饉にの被害を供養するものだと言われています。天和2年建立。
六地蔵
ダイクマの近くにあり、両脇の二体と中の六体は由来が違います。六地蔵は六道思想のどの世界でも救いを差し伸べる分身としての彫像です。享保2年造立。
庚申塔
清水橋交差点付近(浄岸寺跡)に4つの庚申塔が集められています。元禄元年建立の一面六臂の青面金剛像、万延元年の文字塔2体、詳細不明の一体です。
庚申塔
阿弥陀如来像であり、光明寺にあります。貞享4年建立。
庚申塔
一面六臂の青面金剛像であり、光明寺にあります。庚申講中により安永九年に建立されています。
庚申塔
青面金剛文字塔であり、光明寺境内にあります。弘化2年建立


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